想像力の肥溜め

文章というか、文字列の集合体

春休みに入りまして

 お久しぶりです。こんにちは。

大学の授業がすべて終わり、レポートもなんとか出し切りました。実は最後のレポートを提出する二日前ほどに38.4℃を超える高熱を出してしまって、教授に無理言って提出期限を延ばしてもらったりして完成させることができました。本当に感謝です。

 さて、春休みの真っただ中、周りがインターンなどに行っている中、まったく何もしてないです。一月中はあれやろう、これやろうなんて思ってた事が、実際春休みに入ると何もしないなんて、今までの自分すぎて情けないね。就職せずに大学院に行くとしてもTOEICのスコアが必要なので、それだけでも勉強しなければ。自戒の意をこめて今文章を書いております。

山場を切り抜けた

どうも。前回の投稿で忙しいアピールを存分にした僕ですが、なんとか山場を乗り越えました。残るはテストが1科目、レポートが3つ、〆にtoeicを受けて終わりです。

そしてこのテスト週間が終わり、2月に入ったら本格的に就活を始めようと思ってます。僕は怠惰な学生なので、インターンはおろか、企業説明会にすら参加してない有様です。本当に崖っぷちに立ってます。

そんな中、今日、所属している研究室の学部4年生と修士2年生に就職活動についてのあれこれを説明していただいて、だいたいの方向性が掴めました。

印象に残ってるのは、
・自分なりの軸を持つ
収入や、出勤場所、労働時間、福利厚生など、自分が重視する条件を決める

・就職に失敗しても、大学院に行けばいいやという気分で就活をすると、中途半端になり失敗しやすい

・…

…あれ、なんだっけ、、、、

ダメですね。人の話を聞く時はメモとペンを持たないと。反省します。

とにかく自分は、2月前半に業界研究&エントリーシーを書く練習&インターンの申し込みをして、それ以降はインターンに参加しながら、自分のやりたいことを見つけて行ければいいかなと思います。もしやりたいことが見当たらなかったら、院に行こうと思います笑 幸いなことに、今所属している研究室は教授の面倒見もいいですし、院に行っても大丈夫そうなので。とりあえずあと1週間、ラストスパートがんばります。

めちゃくちゃ忙しいです。。

どうもこんにちは。私事ではありますがめちゃくちゃ忙しい日々を過ごしています。私立大学に通っている以上、大学入試が始まる2月1日までにはなんとしてでもすべての授業を終了させなければならないのですが、その大詰めを只今絶賛迎えている状態であります。

 

3年生の専門分野の授業はそれまでと違い、定期テストではなく、期末レポートを提出することで単位がもらえる授業が多いです。なので提出すべきたくさんのレポートを抱えているのです。さらに所属しているゼミの発表もあります。僕は簡単に言うと「硫酸中に溶けている金属を回収しよう」という内容の発表をするのですが、内容が難しくてあまり理解できていないのが現状で、不安が多分に残ります。加えて学生実験のレポートもあります。(まあある程度は大学生三種の神器の「Ctrl+C, Ctrl+V, Ctrl+V」でなんとかするけど)また、通常の筆記テストもあります。

 

 

あれ、、、忙しすぎない???

というわけで1月はめちゃくちゃしんどいけど頑張ろうと思います。みなさんも頑張りましょう。

幸せは転がっている

正午を回るギリギリで起きた僕は、あまりにも天気がよかったから、寝癖の頭をそのままにベランダで音楽を聴きながらコーヒーを飲んでいた。冬に差す日は冷えたアスファルトに暖かいプールを作っていて、それがなんとも心地よかった。


「コーヒー飲んで好きな音楽を聴けるだけで幸せだ。この幸せを生涯続けられたら他にはいらない、とは言わないけど少なくとも今は満足してる。」


そうかもしれない。将来何が起こるかわからないけれど、コーヒーを飲んで好きな音楽が聴ける自由は奪われたくない。生活の上での必要条件だなと思った。

あけましておめでとうございます

 新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて突然ですがこのブログ、ずっと動かしてなかったので、今年はぼちぼち更新しようかなと思ってます。今年はよろしくお願いします。

 多分というか絶対そのうち書くことがなくなって、更新しなくなるだろうけど、そのときが来るまで待っているような他人的スタンスでやります。たぶんそれが一番いいと思うので。

 分量もそんな書かないです。面白くもないと思います。それでもこの新年特有の「何かやる気を出して邁進しよう」というテンションの至りを温かい目で見守っていただけたらなあと。よろしくお願いします。

 

タバコの匂いについて

学校の帰り、授業が少しだけ早く終わったので大宮の本屋に寄って物色した。買いに至る本はなかったんだけどね、赤本とかたくさん並んでてそういえば受験シーズンなのかなとか思った。その後本屋の下のドトールでコーヒーでも飲もうかと行ってみたけど、喫煙席しかまともなスペースがなさそうで、非喫煙者ながら喫煙席に入ることになった。分煙のドアを開けるとタバコの匂いがするわけだけど、なんだか今までと違ってそんなに嫌悪感がなかった。なんでだろう、嗅覚が鈍ったのかなあ。

思ったより世の中は

あまり外に出て何かをするタイプではないのだが、夏休みもあけて通学するために外出すると、かわいいあるいはエロい女の子をかなり見かけることに気づいた。家にいる間は世の女の子がどれくらいかわいくてエロいか気づく由もなかった。たしかに特になんとも思わない子、そんなにかわいくない子もいるけど、かわいい子、エロい子の多さに圧倒されてしまうのでほとんどその存在に気づかない。

しかしながら食事をする時、おいしいって思うことよりまあまあだなって思うことの方が多い気がする。まずいって思うことそれこそ少ないけど。

でもなんでこんなにもかわいい女の子やエロい女の子って多いんですかね。

ああ、今なら死んでもいいかなって

 

ああ、今なら死んでもいいかな

 

って思う時がみなさんにはあるでしょうか。

僕にはあります。

人は誰しもわざわざ辛く苦しい時に死にたいとは思いませんよね。可能なのかどうかは別として、気持ちのいい時に死にたい。余命宣告に怯えながら生き絶えるより、幸せな時に急に死ぬ方がいいという話です。

バイトや学校から夜遅く帰るとき、街はとてもしんとしていて風は優しく吹いています。そんな時とても幸せな気分になります。好きな音楽を聴きながら自販機でジュースを買い、飲み歩く。少し疲れたらベンチに座って風を仰ぐ。そんな時に死ねたらいいですよね。なんていつも思ってます。

 

 

 

コミュニケーションの場

先日、所用のため東京の銭湯に立ち寄ることになった。スーパー銭湯ではなく、昔ながらのサウナがないお風呂だけの銭湯で、実際に昭和40年くらいから営業してるそう。
番台には70代らしきおじさんがいて、僕が男湯の暖簾をくぐりドアを開けた時には、別の70代らしきおじさんがひたすらに「お風呂から酸素が出てないんだよ」ということを番台のおじいさんに言っていた。そうか、酸素が出てないのか、と思いつつその会話が終わるまで番台越しに見えそうな女子風呂にそわそわしつつその場で待つことにした。1分程して酸素出ないおじさんが去り、僕が番台にいくらか聞くと460円だというので1000円札を出した。すると、番台の台に乗っかってるコインのタワーからすぐお釣りを返してくれた。1000円用のお釣りを常に用意してるようだった。

まず桶とイスを取り、髪の毛と身体を洗う。シャワーヘッドなんてものは存在せず、蛇口から出てくる熱いお湯でさっぱりしたところで、富士山の麓にあるお風呂の方に向かう。お風呂は三つにスペースが区切られていた。右が高温湯、真ん中は何も書いてないので普通だろう、左は低温湯になっていた。
まずは真ん中に入ってみる。うん、熱い。無理。すぐさま左の低温湯に移動した。まずは手をつけてみる。うん、大丈夫だ。いざ入ってみると、身体は多少のヒリヒリを伴いながら深く沈んでいった。20秒たったころに思った。あ、これ無理なやつだ。温度計を見るとなんと42℃を指していた。おい、低温を小学校で学び直せと、失礼なことを思いながら5分ほど耐えた。もちろん水を入れる蛇口はあるが、やはりあまり使いたいものではない。常連のおじいさんに怒られるなんてお決まりはくらいたくない。
耐えかねた僕は一旦出て、洗面台にイスを持ってきて座った。身体を冷やしてから湯船に戻ると、おじさんが先客として入っていた。おじさんは声をかけてきた。
「お兄さん、何歳?」
「19で、もうすぐ20です。」
「若いねえ」
「ありがとうございます」
こんなふうな会話を続けた。銭湯はコミュニケーションの場になる。

紀行本っていいよね

 

紀行本っていいよね。

先日友達との待ち合わせまで時間があるため、寄った本屋で買った本が紀行本だった。オードリーの若林が書いた「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」という本だ。本人が5日間の短い休みに一人でキューバに行った時の紀行が記されていて、ところどころにモノクロではあるが写真も入っていて、僕はなんだか今すぐにでも鞄に荷物を詰め込んで飛び出したい気分になった。ただ「〇〇に行った、こう思った」だけでなく、当人のバックボーンとの照らし合わせだったり、歴史的な話だったり、読者を飽きさせない内容になっていたので、買った足で向かった大宮駅のドトールでページをサクサク進めることができた(最初、横で行われていたネズミ講に気をとられたが)。

 

ところで、僕はYouTubeにアップされている、旅行を撮影した動画をたまに観るのだが、それがとてもおもしろい。テレビの旅行番組の個人版といった感じで、一般人が個人で撮影してるだけあって、ナレーションもなく、字幕もないが、それがあたかも自分が本当に行ってるような気分にさせる。最近は動画の画質に力を入れているカメラも多いので、それこそテレビにもあまり劣らない画質になってる動画も少なくない。

 

本と動画、それぞれにそれぞれのよさがあっていいと僕は思う。本は文章だけで風景だったり、見てるものだったりを表現しなくてはならないから、多少あいまい性が残ってしまう。それに対して動画はしっかりと、見たものを伝えることができる。ただし、本の描写には著者本人の主観が大いに含まれることで、反対にリアルに映るのかもしれないが。

 

あ~あ、旅行行きたいなあ~

京都発という言葉

 

「京都発」という言葉にずるいと思ってしまうのは僕だけなのだろうか。

「京都発ポップカルチャー」これは間違いなく成功する。ポップなのだけれど、その中にはんなりさも織り込み済みなカルチャーはずるい。

「京都発ガールズバンド」ライブのMCで京都弁を連発しとけばそのかわいさに男は十中八九、女は半分以上落ちること間違いない。

「京都発ファストフード」えっあのファストフードとかけ離れてるイメージの京都から出店したお店があるの!?これはインスタ映えするわ!行かなきゃ!!とならないわけがない。

 

やっぱり京都発はずるい。

 

何があるのかと

あまり乗らない路線の電車に乗っている時、多くの人が降りようとしてる駅を車内のディスプレイで確認してしまうことがよくある。
その駅周辺にはどういう建物があって、どういう人達が住んでいて、どういう暮らしが送られてるのだろうと、次の駅に着くまでの間考えてしまう。

今日は近親のお見舞いに行くために有楽町線に乗った。1年に片手で数えられるほどしか乗らない路線に乗った。

写真に対する意識の差

僕が携帯のカメラ機能ではなく、本格的なカメラで写真を撮ることを始めたのは中3と高一の間の頃だ。もとより記録癖(なんでも残しておきたいと思ってしまう病気みたいなもの)を患っていた僕が、カメラという目の前の瞬時の景色を切り取り、いつまでも残しておける素晴らしいものにぞっこんしてしまわない理由なんてどうがんばっても見つけられるはずがなかった。
かくして高校入学祝いにミラーレス一眼を買ってもらった僕は、とにかく写真を撮りまくった。自分の気に入った風景、なんかいい感じの写真になる物体、そのとき自分が見てる景色。その中でもやはり記録癖ゆえ、自分が見ている景色を撮っていることが多かった。そしてそれは5年ほど経った今でもあまり変わらない。
しかし、そのような写真はとくに捉えどころがないようになりやすいので、どうしても散漫な写真になりがちなのである。やはり長く写真をやっていると、だいたい自分がどういう写真を撮っていて楽しいのか、その後自分がどういう写真をいいと思うのか、この両者に差があることがわかってきた。
先ほど書いたように、撮る時はいわゆる広角の、見たまんまの風景を切り取った写真が好きだ。しかし、後に気に入る写真の多くはそのような写真ではなく、なにかとても具体的なもの(表現が抽象的だが)を撮った写真なのである。
ちょうど今日から二度目の台湾に行くので、今回はこの差を意識して、できるだけ後者の写真が撮れるようにしたい。