想像力の肥溜め

文章というか、文字列の集合体

雑文

 

なんとなく部屋に転がってた小説を、なんとなく手に取りそのまま少し読んでいたらなんだか文章が書きたくなってしまったので、少し書きたいと思う。

まずは何からがいいかな。そうだ、季節の話をしよう。

僕は夏があまり好きではない。理由は非常に単純明快で、それは兎にも角にも暑いからに他ならない。春はいい。少し暖かくなったかな、なんて思いながらあと少しで花を咲かすであろう桜の蕾を愛でる。曇りがちな空に悪態をつくのもいい。秋はなおいい。温泉が気持ちいい。秋に入る露天風呂は日本が持つ最大の魅力と言っても過言ではない。イチョウ並木を歩くだけで夢に堕ちたような感覚に陥る。センチメンタルになりやすい。日もかなり傾き始める。長い影が映るようになる。冬はかなりいい。寒いが、寒さはセンチメンタルに繋がる。そしてセンチメンタルはいい季節には欠かせない要素である。朝起きた時、まだ真っ暗である空を眺め、非日常感を感じつつ朝の支度をストーブをつけたての寒い部屋で行う。やけに重ね着をして、日が顔を出し始めた頃に家を出る。温かい飲み物が最高に美味しく感じる。ココア、コーヒー、ポタージュ、ティーは夏に飲むそれとはまるで大きな差が生まれる。

夏はどうだろう。朝起きてすでに明るい。蝉がせわしく一週間の命を燃やしている音が聞こえる。身体は少し汗ばんでいる。温かい朝食が喉を通りづらい。外に出るとオーブンに入ったかと思うような暑さが身体を包む。皮膚は刺されるように痛む。あるいは蚊に刺されるかもわからない。センチメンタルもない。全くないわけではないが、夏以外の季節と比べて非常に感じにくい。よく、夏の夜はセンチメンタルだとか、入道雲にノスタルジーを感じるとか言う言葉が耳に入るが、あれはまやかしに他ならず、そんなものは夏の暑さにやられてしまった脳が起こしている錯覚である。

 

このように夏は忌まれて当然であるような季節なわけだが、いい点も少なからずではあるがある。それはまず一つに、女性が薄着であること。次に、女性の露出が高いことである。この二つのいい点によってまだ夏は生きるに値する季節としてなり得ているのであって、もし日本がイスラム圏になったその日には僕は夏を冬眠の時期として定め、生命活動を極限に抑え家に籠っていることだろう。

 

と、今日はここまでにしようか。