想像力の肥溜め

文章というか、文字列の集合体

2017/12/8

異性と交際したことがない人が交際までこぎ着くには、やはり異性に話しかけることが大事なんだろう。しかし、異性と交際したことがない人にとって異性に話しかけることというのは相当に高いハードルであり、もはやそのハードルを超える練習をしなければならないのだ。その場合すべきこととは何なのだろうか。いや、そんなことを考えるより、やはり闇雲にハードルに挑む方が突破への近道だと思う。やってみて失敗して、を何度も繰り返す。失敗すると恥しい思いもするだろうが、それは仕方ないものとして受け止めるしかない。僕は失敗することを恐れすぎて何も出来ない人間なので、まさに自分への戒めのごとくこの文章を書いている。

コミュニケーションの場

先日、所用のため東京の銭湯に立ち寄ることになった。スーパー銭湯ではなく、昔ながらのサウナがないお風呂だけの銭湯で、実際に昭和40年くらいから営業してるそう。
番台には70代らしきおじさんがいて、僕が男湯の暖簾をくぐりドアを開けた時には、別の70代らしきおじさんがひたすらに「お風呂から酸素が出てないんだよ」ということを番台のおじいさんに言っていた。そうか、酸素が出てないのか、と思いつつその会話が終わるまで番台越しに見えそうな女子風呂にそわそわしつつその場で待つことにした。1分程して酸素出ないおじさんが去り、僕が番台にいくらか聞くと460円だというので1000円札を出した。すると、番台の台に乗っかってるコインのタワーからすぐお釣りを返してくれた。1000円用のお釣りを常に用意してるようだった。

まず桶とイスを取り、髪の毛と身体を洗う。シャワーヘッドなんてものは存在せず、蛇口から出てくる熱いお湯でさっぱりしたところで、富士山の麓にあるお風呂の方に向かう。お風呂は三つにスペースが区切られていた。右が高温湯、真ん中は何も書いてないので普通だろう、左は低温湯になっていた。
まずは真ん中に入ってみる。うん、熱い。無理。すぐさま左の低温湯に移動した。まずは手をつけてみる。うん、大丈夫だ。いざ入ってみると、身体は多少のヒリヒリを伴いながら深く沈んでいった。20秒たったころに思った。あ、これ無理なやつだ。温度計を見るとなんと42℃を指していた。おい、低温を小学校で学び直せと、失礼なことを思いながら5分ほど耐えた。もちろん水を入れる蛇口はあるが、やはりあまり使いたいものではない。常連のおじいさんに怒られるなんてお決まりはくらいたくない。
耐えかねた僕は一旦出て、洗面台にイスを持ってきて座った。身体を冷やしてから湯船に戻ると、おじさんが先客として入っていた。おじさんは声をかけてきた。
「お兄さん、何歳?」
「19で、もうすぐ20です。」
「若いねえ」
「ありがとうございます」
こんなふうな会話を続けた。銭湯はコミュニケーションの場になる。

紀行本っていいよね

 

紀行本っていいよね。

先日友達との待ち合わせまで時間があるため、寄った本屋で買った本が紀行本だった。オードリーの若林が書いた「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」という本だ。本人が5日間の短い休みに一人でキューバに行った時の紀行が記されていて、ところどころにモノクロではあるが写真も入っていて、僕はなんだか今すぐにでも鞄に荷物を詰め込んで飛び出したい気分になった。ただ「〇〇に行った、こう思った」だけでなく、当人のバックボーンとの照らし合わせだったり、歴史的な話だったり、読者を飽きさせない内容になっていたので、買った足で向かった大宮駅のドトールでページをサクサク進めることができた(最初、横で行われていたネズミ講に気をとられたが)。

 

ところで、僕はYouTubeにアップされている、旅行を撮影した動画をたまに観るのだが、それがとてもおもしろい。テレビの旅行番組の個人版といった感じで、一般人が個人で撮影してるだけあって、ナレーションもなく、字幕もないが、それがあたかも自分が本当に行ってるような気分にさせる。最近は動画の画質に力を入れているカメラも多いので、それこそテレビにもあまり劣らない画質になってる動画も少なくない。

 

本と動画、それぞれにそれぞれのよさがあっていいと僕は思う。本は文章だけで風景だったり、見てるものだったりを表現しなくてはならないから、多少あいまい性が残ってしまう。それに対して動画はしっかりと、見たものを伝えることができる。ただし、本の描写には著者本人の主観が大いに含まれることで、反対にリアルに映るのかもしれないが。

 

あ~あ、旅行行きたいなあ~

京都発という言葉

 

「京都発」という言葉にずるいと思ってしまうのは僕だけなのだろうか。

「京都発ポップカルチャー」これは間違いなく成功する。ポップなのだけれど、その中にはんなりさも織り込み済みなカルチャーはずるい。

「京都発ガールズバンド」ライブのMCで京都弁を連発しとけばそのかわいさに男は十中八九、女は半分以上落ちること間違いない。

「京都発ファストフード」えっあのファストフードとかけ離れてるイメージの京都から出店したお店があるの!?これはインスタ映えするわ!行かなきゃ!!とならないわけがない。

 

やっぱり京都発はずるい。

 

何があるのかと

あまり乗らない路線の電車に乗っている時、多くの人が降りようとしてる駅を車内のディスプレイで確認してしまうことがよくある。
その駅周辺にはどういう建物があって、どういう人達が住んでいて、どういう暮らしが送られてるのだろうと、次の駅に着くまでの間考えてしまう。

今日は近親のお見舞いに行くために有楽町線に乗った。1年に片手で数えられるほどしか乗らない路線に乗った。

写真に対する意識の差

僕が携帯のカメラ機能ではなく、本格的なカメラで写真を撮ることを始めたのは中3と高一の間の頃だ。もとより記録癖(なんでも残しておきたいと思ってしまう病気みたいなもの)を患っていた僕が、カメラという目の前の瞬時の景色を切り取り、いつまでも残しておける素晴らしいものにぞっこんしてしまわない理由なんてどうがんばっても見つけられるはずがなかった。
かくして高校入学祝いにミラーレス一眼を買ってもらった僕は、とにかく写真を撮りまくった。自分の気に入った風景、なんかいい感じの写真になる物体、そのとき自分が見てる景色。その中でもやはり記録癖ゆえ、自分が見ている景色を撮っていることが多かった。そしてそれは5年ほど経った今でもあまり変わらない。
しかし、そのような写真はとくに捉えどころがないようになりやすいので、どうしても散漫な写真になりがちなのである。やはり長く写真をやっていると、だいたい自分がどういう写真を撮っていて楽しいのか、その後自分がどういう写真をいいと思うのか、この両者に差があることがわかってきた。
先ほど書いたように、撮る時はいわゆる広角の、見たまんまの風景を切り取った写真が好きだ。しかし、後に気に入る写真の多くはそのような写真ではなく、なにかとても具体的なもの(表現が抽象的だが)を撮った写真なのである。
ちょうど今日から二度目の台湾に行くので、今回はこの差を意識して、できるだけ後者の写真が撮れるようにしたい。

出会いそれぞれ

ここ一週間、はてなブログのトップページのカテゴリ欄にかき氷カテゴリが表示されるようになり、かき氷を題としたエントリーを見ることが多い。その中でも3、4回ほど見たのが、セブンイレブンのミルクティーかき氷である。なんでも芳醇な紅茶の香りの氷がアイスとよく合うんだとか。時期同じくして、インスタグラムの投稿でも何回か見かけたので、これはもう食べるしかないと思い立ち、バイト帰りに家の近くのセブンへ駅を越えて買いに行った。

お目当のブツが手に入ると、夏の夜のまったりとした、もったりとした空気も一目散に家路を辿った。靴を脱ぎ、手を洗って、いざ実食。スプーンはちゃんと家の金属製のものを使う。木の香りで紅茶の芳醇らしい香りが侵害されるのはまっぴらごめんだ。手に取りカップを開ける。ミルクティー色の氷が円になってカップを縁取り、その真ん中にアイスクリームがしゃんと佇んでいる。ご対面だ。意を決して口に入れる。氷が溶ける。アイスが舌にまとわりつく。

うん。紅茶が濃いな。

これが味のファーストインプレッションだった。美味しいとかではなく、ただミルクティーの紅茶の濃さに注意がいってしまった。もちろんおいしいには違いないんだけれど、それでも何か不満というか、そういうものが残る。

つまり、最近ではネットで話題になり、それを見た消費者が実際に購入なりをして、さらにそれが四方八方に広がり繰り返されていくことが多いが、その繰り返しが多いほど期待が膨らみ、設けなくてもいいハードル設けて、勝手に不満を抱いてしまうのだ。

前乗り情報を得ず、ふらっと立ち寄ったコンビニで少し気になって、そして買って食べていればもっと評価も変わったはずなのに。とても悲しい出来事だと思いませんか?

 

ネットのニュースで見た。東京は今日までで14日間連続で雨が降っているそうだ。

せっかくの夏だというのに、出かけるにしてもこの天気では場所が限られる。海の家はかなりの経営損失の痛手をくらっているだろう。もちろんプールも同じだ。僕も雨の中、鎌倉に行ってきた。雨の鎌倉に風情があるのは紫陽花が寺を彩る6月頃であって、8月の雨は天然ミストサウナの発生原因に他ならない。非常に厳しかったが、ところどころ止んだりして、その度にカメラのシャッターを切った。そういうのも、まあ無しではないんじゃないだろうか。

イギリスの写真をまとめた

グリニッジ天文台

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 ロンドン

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郊外

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慣れた夏休み

 

夏休みが始まってもう一週間が経過した。すでに生活習慣は破綻の一途を辿りつつある。朝6時に寝て、12時に起きて、14時からバイトをする。バイトから帰ってくるとそのままネットサーフィンをして、ループの先頭へと戻る。もうずっとこんな生活だ。サークルも何もないし、独り身なもので誰とどこに行くこともない。ただ塾で気の合う生徒と話すことが唯一の楽しみだったりする。

ただ、別に華やかな生活を送りたいなんてことは思っていない。華やかな生活にはエネルギーが必要であるが、僕はそのエネルギー貯蔵量が著しく低い。すぐに参ってしまう。だから、自分には関係ないんだと、理由をなんとかこじつけて目を背けることに注力をするしかない。

それはそうと、この頃街中で女子高生を見なくなった。いくらシーズンオフだからと言って絶滅したわけではないだろうに。やはり制服を着てないとわからないものなのだろうか。そんな単純な問題なのだろうか。ひっそりと身を隠してるのだろうか。一体何のために。いや、考えるだけ無駄だろうな。結局僕はバイトに向かうだけなんだし。

雑文

 

なんとなく部屋に転がってた小説を、なんとなく手に取りそのまま少し読んでいたらなんだか文章が書きたくなってしまったので、少し書きたいと思う。

まずは何からがいいかな。そうだ、季節の話をしよう。

僕は夏があまり好きではない。理由は非常に単純明快で、それは兎にも角にも暑いからに他ならない。春はいい。少し暖かくなったかな、なんて思いながらあと少しで花を咲かすであろう桜の蕾を愛でる。曇りがちな空に悪態をつくのもいい。秋はなおいい。温泉が気持ちいい。秋に入る露天風呂は日本が持つ最大の魅力と言っても過言ではない。イチョウ並木を歩くだけで夢に堕ちたような感覚に陥る。センチメンタルになりやすい。日もかなり傾き始める。長い影が映るようになる。冬はかなりいい。寒いが、寒さはセンチメンタルに繋がる。そしてセンチメンタルはいい季節には欠かせない要素である。朝起きた時、まだ真っ暗である空を眺め、非日常感を感じつつ朝の支度をストーブをつけたての寒い部屋で行う。やけに重ね着をして、日が顔を出し始めた頃に家を出る。温かい飲み物が最高に美味しく感じる。ココア、コーヒー、ポタージュ、ティーは夏に飲むそれとはまるで大きな差が生まれる。

夏はどうだろう。朝起きてすでに明るい。蝉がせわしく一週間の命を燃やしている音が聞こえる。身体は少し汗ばんでいる。温かい朝食が喉を通りづらい。外に出るとオーブンに入ったかと思うような暑さが身体を包む。皮膚は刺されるように痛む。あるいは蚊に刺されるかもわからない。センチメンタルもない。全くないわけではないが、夏以外の季節と比べて非常に感じにくい。よく、夏の夜はセンチメンタルだとか、入道雲にノスタルジーを感じるとか言う言葉が耳に入るが、あれはまやかしに他ならず、そんなものは夏の暑さにやられてしまった脳が起こしている錯覚である。

 

このように夏は忌まれて当然であるような季節なわけだが、いい点も少なからずではあるがある。それはまず一つに、女性が薄着であること。次に、女性の露出が高いことである。この二つのいい点によってまだ夏は生きるに値する季節としてなり得ているのであって、もし日本がイスラム圏になったその日には僕は夏を冬眠の時期として定め、生命活動を極限に抑え家に籠っていることだろう。

 

と、今日はここまでにしようか。

フリーWi-Fiについてす

 

先日バイト帰り、駅で電車待ちをしている時、柱に「フリーWifiあります」と書かれたステッカーが貼ってあるのを見かけた。そして、この前ニュースかなんかで、東京オリンピックまでに東京中の都心部にフリーWifiを張り巡らせる計画があるというのを知ったことを思い出した。ステッカーが貼ってあった駅は東京ではないのだが、この計画はちょっとどうかなと個人的には思うところがある。

 

まず第一に、そんなにフリーWifiが必要かということ。今のご時世、スマホ時代であるから、Wifiなんて空港に行けば観光客でも簡単に借りることができる。それもそんなに大袈裟になるほどの値段はかからない。何だったら少なめのデータ量のSIMだって家電量販店で手に入る。

それなのに、わざわざお金をかけてWifiスポットを作る意味があるのだろうか。もし、「フリーWifiがあるから東京はいいわね。行きましょうか。」と外国人旅行者がなればいいが、そんなことは少ないだろう。あったら嬉しい程度の話にとどまると思われる。

 

第二に、それだったらそのWifiスポットを作るためにかかるお金を、もっと観光アピールの主となるもの、あるいはそれにできる限り近いものに使うべきではないのか。想像力が乏しい人種の僕にはあまりいいアイデアが浮かばないのだが、頭のいい上の方々はきっと素敵な考えを思いついてくれるだろう。

(しかし、その結果がこれなんだろうな…)

浮遊感

浮遊感に包まれてるなう。落ち着かない、着地点を見失ったパラシュートのようにどうしようもない気持ちだけが僕を揺らす。というポエム。
ドッキリをされることを事前に予告されていて、その時を今かと待っている時のような、落ち着かない気持ち。
化学的に言うと、僕は今、非常にエネルギーが高い状態にある。なので一刻でも早く低いエネルギー順位に遷移したい。しかし、ここでひとつ考えてみよう。その時に放出されるエネルギーとは一体なにエネルギーなのだろうか。原子であれば光なのだろうが、僕は人間であるゆえそのようなことはできない。発光人間ではない。体内で発酵はしている。ここでのエネルギーはやはり性欲ではないだろうか。いや、待て。エネルギーは熱と等価であるということを僕の祖父が言っていたのを今思い出した。なるほど!!ではやはりあのエネルギーの正体は………!!!!

Tokyo Coffee Festival 2017 Summer

 

Tokyo Coffee Festival 2017 Summerに行ってきた。青山と渋谷の間の国連大学というところで開催されていた。

 

 

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まずは試し飲みカップを買って、いろいろなお店へ並ぶ。

 

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ファーマーズマーケットも同じところで、こちらは毎週開催されているらしい。

 

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表参道あたりを歩く。

 

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ほんと洒落てる街だなあと思った。

 

意味を見出す

 

最近、生きる意味について考えることが頻繁にある。

哲学的な意味ではなくて、もっと単純に何をするために生きるんだろうと。

学校の授業は退屈で、行き帰りだって一人で時間を潰すことに終始する。家に帰ると適当に課題をこなすなり、Youtubeを観るなりして、あとは風呂に入って寝る。そして朝起きてまたこれを繰り返す。

ほぼ浪人時代としていることと変わらない。勉強の時間が減り、ぼーっとしてる時間が増えたくらいなものだ。

そこで考える。なんで大学に行ってるんだろうと。勉強は辛い。しかしこれは大学を卒業して就職をするためなんだと自分に言い聞かせる。しかし、就職した先に何があるのだろう。一般には生計を立てて生活をするために働くのだろうが、そもそもなんのために生活をするのだろうか。家族でもできれば、家族を養っていくことが父親の使命となり、そこに生活する意味は生まれるのであろうが。

 

恋人なりも同じようなものだと思う。スピッツの恋のうたという曲の歌詞にはこうある。

君と出会えたことを僕が生まれてきた意味にしたい

すごい。君が僕の生きる意味とでも言ってるようだ。生きる意味が明確としている。

 

僕には恋人がいないのでこの気持ちを想像することに少しの難しさを感じるが、これだけ信じられる生きる意味があれば幸せなんだろうなと思った。